僕は病気だけども、この世界はもっとおかしなことになっている。

マイルドヤンキーっていう言葉があるのを知った。

先日、うどん店で食事をしていたら、あぁ~、こういう人たちのことなのかな?っていうグループと遭遇した。

5~6人で楽しそうに冗談を言いながら、食事を楽しんでいる。

ただ、残念なのは、テーブルの上に置かれた透明の仕切りを勝手に隣の席に置いてしまっていること。

まあ、100歩譲って、帰る前に自分で元の位置にでも戻して帰るのなら別にいいのではないか?と思ったが、残念ながら喰い散らかしてそのまま帰ってしまった。

以前の僕は気が狂っていたので、「おい!元に戻せやちゃんとコラっ!」とか言っていた。それでも、何か勘違い野郎だったりして、相手が引き下がらないなら、警察がくるまで文句いいつけたし、大恥かかせて二度とやらないようにしてやるわとか平気でやってた。

・・・。狂ってた。

今は、黙って代わりに元に戻してあげるようにしている。店員さんが嫌な気がする前に。

しかし、独特の文化みたいなものもあって、仲間意識だけは高い。ほんとに命かけて友達守るだけの根性持ってるんかは知らないけれども、少なくとも友達を大切に思う心は持っていたりする。

そういえば、高校生の頃に、原付に乗ってくる友達は、うちの近くまで来ると少し手前のほうでエンジンを切って押してきていた。

彼は、自分のバイクの音でうちの近所に迷惑をかけてはいけないという優しさを持っているんだろう。

でも、それは、自分のバイクの音が迷惑なのではないか?という自意識がそこにある。

むしろ、そこまでわかっているなら、近所といわずに世間の全てにそういう優しさを持てればいい。

つまり、普通の音量のバイクに乗ればいいのだ。俺はそうしていたし。むしろ一般的には、そんなことは当たり前のことなので、それを優しさという言葉に包むのも違うのではないか?とよく思う。

やはり、僕たちには愛が足りない。

その一方で、僕は、深夜に走りまわるオートバイの音がさほど気にならない。

彼らは、自分の意見を上手に言うことができない。理不尽でわがままな言い訳を口にして、周りからは嫌われてはいるが、少し足りない優しさと、ロクでもない大人たちへの曲がった不満が彼らをそうさせるのだと思う。上手に伝えることができないし、その不満をまた上手に解消できない。

彼らもまた、おかしなことになっている世間に薄っすらと気が付いていて、それに怒りを持った被害者なのかもしれない。

大人しくなることが、大人になることと言われ、やがて、「昔は俺も~」みたいなことを言いながら、くだらない大人のほうの仲間入りをしていく。

もちろん、深夜に大きな音を立てて走り回ることが良いとはいえない。しかし、そのうち、捕まることで、幾人もの身内が泣く姿を見て、温かい心を想い出してくれるのであれば、それはそれで魂が成長するのではないだろうか?

一般的には悪いと言われることも、その罪を自ら認めたときに、その人の愛は深さが増す。利己主義な愛の足りない大人よりは、人に優しい人になる。

仲間を思う気持ちは大切だし、楽しい時間を仲間と過ごすことは良い人生だと思う。

そして、それと同じように周囲の全ての人を大切にして生きていくのだったら、それは愛の溢れた世界に近づんではないだろうか?

見て見ぬフリする大人しい大人たちよりも、少しだけ愛の範囲を広げることができる嫌われ者のほうが、愛の溢れた社会に近い気もしている。

惜しい。ただただ惜しい。

僕は病気だけども、この世界はもっとおかしなことになっている。