何を置いても大切なことは安全であるということ

どんな仕事においても、安全というのは真っ先に優先されなくてはいけないのだけれども、実際の現場では、結局のところ後回しにされていることがほとんどではないだろうか?

まず、品質において、もし何かしらの不具合が起きれば、もちろん苦情が発生するし、現代では個人の発信力でも世間への影響が拡散されるために、小企業であれば、あっさりと倒産にまで追い込まれることもある。

市場のジャッジは厳しいもので、どんなに良い製品を作っても、それは当たり前で、悪いものがひとつでも出回れば、たちまちにその企業の製品は全て悪いものにジャッジされる。

悪い製品が減ったのは品質管理の向上?

しかし、そういった品質のクレームも、滅多やたらと出てくることではない。それは、昔と比較して管理が徹底されている・・と言いたいところだが、実際には、機械の制御や精度における性能が極限まで高められているために、そもそも製品つくりにおいての不良品の発生が減ったことであろう。

人間の管理そのものは、年々とずさんになっていると私は感じている。そもそも、品質をチェックするという仕事自体には、生産性がないために、稼働率があがることはないからだ。

また、品質の管理も含めた工程を稼働率に加えるとなると、たんにマイナスの要素しかないために、いざ稼働率が悪くなれば、もっともカンタンにそれをあげるのは、品質のチェックを怠れば良いということになる。

たゆまない努力で機械の精度を高め、不良品の発生を減らしても、完全になくすことは不可能であり、その際に発生する、ごくわずかな一個を見逃してしまえば、それまでの苦労は水の泡となってしまう。

もっとも優先されているのは結局のところ稼働率

誰かがケガすれば、当然のことながら、その現場の管理能力の責任が問われ、もし、品質の問題が社外でおきれば、それもまた責任が問われる。

しかし、残念ながら、それは事が起きてからのことであり、管理者たちが日々直面するのは、稼働率でしかない。

毎日つける日報の稼働率がどれだけ憂鬱なものだろう。明日になれば、その未達の稼働率について問われ、対策を求められる日々。

現実には、いつも最優先しているのは、とにかく早く1つでも多くのモノを作ることだけでしれか評価されないのだ。

常に誰かが犠牲になる終わりなき仕組み

稼働率のために、安全と品質はおろそかになり、気がつけば現場の人間が、少ない休憩時間も取らずに働き、やがて誰かがケガをしたり、病気になったり。

もはや、日本の製造は犠牲でしか成り立っていないとも感じている。